ぽんさ

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「ぽんさ」という言葉を聞いたことがあるだろうか。

おそらくないだろう。我家庭内でのローカル・ワードなのだから。

現在、私には4歳の長男と、生後3カ月の娘がいる。
彼らが生まれる前に家族になったミニチュア・シュナウザーの「長女」もいる。名を「アン」という。
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由来はヘップバーンの映画。さておき、彼女は人間の言葉をよく理解している。

その中でも「散歩」(あとは、ごはんとかおやつとか)という言葉には非常に敏感だ。
テレビやDVDの中での「散歩」というセリフにも機敏に反応して、尻尾を振り、鼻をくんくんしながらすり寄ってくる。
こうなったら最後、暑かろうが寒かろうが、早朝だろうが深夜だろうが、家人が散歩に連れて行かない限り、興奮は止まない。

しかし、それでは文化的な生活から離れざるを得なくなってしまう。

そこで一計を講じた。
「散歩」という言葉を使わないようにするのだ。
アナグラムというにはアレだが、「さんぽ→ぽんさ」への暗号化()である。

しかし、「ぽんさ」というワード自体が、あまりにも恒常化してしまい、彼女がその意味を理解するのは時間の問題だった。
もちろん様々な工夫はした。
東京ラブストーリー風に「ぽーんさ♪」
沖縄風に「ぽんさぁ」
ポコ風に「それってぽんさッ!」
など、自覚を伴ったネタ風にはなっていたが、アクセント、センテンス、イントネーション諸々、擬態の努力を惜しまなかった。
しかし、彼女のまっすぐな目はそれを見透かしていた。

すなわちそれは、どんな響きの代替ワードを使っても逃れられない、また、自ら選択の幅を狭めてしまったことに過ぎないのだ。
例えるならば、幽遊白書でいう海藤優と蔵馬の戦いだ。

なので、本日も雪虫が舞う中、かたかたと奥歯を震えさせながらも、彼女を散歩に連れ出さざるを得ないのだ。
ASAと赤い字で書かれたブルゾンを羽織った新聞配達員とすれ違う。
時は午前2時46分。
アサじゃねーよ。真夜中だよ。つーか、夕刊でもそのナリだろうが。
と、心の中で八つ当たりをしてみても気温は上がらない。ごめんね。

しかし、これもひとつの幸せの形なのであろう。彼女が私を必要としているのだから。